視点者と主人公

 視点者という言葉については、一人称小説と三人称小説の紹介の時点でさらっと書いていました。読んで字の如く、物語をだれ目線で見ているのかを考えた時の、「だれ」にあたるのが視点者です。

 一人称小説では地の文で「私や僕」と名乗っている人物が視点者です。三人称主観小説では、「地の文で主観となる人物」が視点者となります。

主人公は必ずしも視点者ではない

 視点者と主人公とが、別人となるケースがあります。

 例えば『シャーロック・ホームズシリーズ』(コナン・ドイル)であれば、主人公は名探偵ホームズです。そして視点者はといえば、ワトソン医師なのです。物語はワトソンの目線で語られます。アニメや映画でしか『シャーロック・ホームズ』を観たことのない人は、意外に思うかもしれませんね。

 それから一昔前のライトノベルなら、冴えない男子高校生が視点者で、魅力的なヒロインが主人公となるケースがありました。主人公がヒロインに振り回される様子を楽しむ形式です。

 また小説ではないですが『ドラえもん』(藤子・F・不二雄)であれば、主人公と視点者は……むむ、これは意見が割れそうですね。エピソードによっても変わってくるでしょう。

 いずれそんな仕組みがあるということです。必ずしも視点者と主人公が同じである必要はないのです。

 その理由は一人称小説の記事でも少し触れましたが、主人公目線で語らない方が文章を書きやすく、さらに物語が面白くなるからです。

 名探偵目線で展開してしまうと、すぐに真相が明らかになってしまいますから、一般人目線で「どうしてだろう?」と考えながら物語が進む方が楽しいということです。

 もちろん視点者と主人公が一致するケースもあるでしょう。多くの文学作品では、視点者と主人公は同一です。そして主人公が物語を通じて「成長」する展開となります。主人公と読者が一体となることで、読者も前向きな気持ちになり、感動を覚えるのです。

 自分の作品を書く際は、視点者と主人公を分けるべきか同一とするべきか、一度考えてみましょう。

視点者の変更

 視点者は、章や節の切れ目で、必要に応じて変更できます。「必要に応じて」という条件が重要です。意味もないのに視点者を変えてはいけません。読者は視点者に寄り添って小説世界を楽しんでいます。視点者が変わるということはその楽しみを中断するということですから、余程のことです。

 それまでの視点者が行動不能になるとか、より魅力的な視点者にバトンタッチするとか。変化球としては、始めからダブルヒーローの設定で、二人の視点からストーリーを進めて、交錯させる、という構成もあるでしょう。

 時間軸のコントロールと同様に、その必要性と相談して、「作品が良くなる」「読者が混乱せず楽しめる」と思えるなら、視点者を変えていくと良いでしょう。

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